お客様より頂いたお手紙
■藤沢市 F様より
ずうーっと昔(昭和20年代)
子供の頃、お味噌はおばあちゃんちに行ったときにいただいてくるものでした。
おばあちゃんはうすぐらい味噌蔵にある大きな木の樽から、大きなしゃもじですくった味噌を竹の皮に包んで持たせてくれました。
それから・・・(昭和40年代)
おばあちゃんがなくなってからというもの、我が家の味噌はお店からやってくるようになりました。
おばあちゃんの味噌とは明らかに違うのですが、目新しさもあってそのときはおいしく感じたものでした。いつのまにかお味噌ってそういう味なんだと思うようになってしまったものです。
それから、それから・・・(昭和60年代)
結婚してしばらくたって、友人から自家製味噌をいただきました。なんだかとても懐かしい味がして、記憶を辿っていくうちにおばあちゃんの味噌も同じ味だったことを思い出しました。自分でも作ってみたかったのですが、5キロ、10キロという単位と聞くと気後れがしてあきらめました。似たような味の味噌を探したのですが、出会うことができないまま時間がたってしまいました。
そして、今!
なぜか突然、味噌汁に目覚めたこのごろ。毎朝、煮干と鰹節でだしをとり、夕餉の味噌汁の準備をする。
そんなときに出会ったのが、星六の味噌でした。1年、2年、3年もの、それぞれを試した結果、1年物がおばあちゃんの味噌に似ていることを確認しました。
これからこの味噌は見事に我が家の味となりました。いずれはおばあちゃんの味噌として、孫たちにも受け継がれていくことになるでしょう。
■東京都 K様
「私の父は秋田の雪深い町で育ち、家出同然で上京しました。上京後30年以上も郷土に帰らず、家族を養うために働き続けました。しかし、50代後半で脳梗塞に倒れ、右半身麻痺と言語障害という不自由を背負ってしまいました。
その父に星六味噌で作った味噌汁を何気なく差し出すと、いつもと違う、まるで子どものような表情を見せ、味噌汁の湯気の香りをゆっくりとかぎました。そして、いまだに動作のおぼつかない左手でお椀を口元へ運び、そっと一口、味噌汁をすすりました。
数秒の沈黙の後、ゆっくりとお椀をテーブルに置いた父の目には、涙があふれていました。泣きながらお椀を空けると、私に何かを一生懸命伝えようと声を出していましたが、重度の言語障害のためにほとんど言葉になりません。
なんとしても私に伝えたい何かがその味噌汁にはあったようです。
元気なころは絶対に涙など見せなかった父が、一杯の味噌汁で涙を流すほど感動したのはなぜか、私に何を伝えたかったのか・・・。
後でわかったことですが、星六味噌の味と香りは父が幼いころより食べていた秋田の自家製味噌にそっくりだったそうです。「おふくろの味」の記憶をよみがえらせる星六味噌がもつ力、昔のままの製法と原料だからこそ、この味と香りが出るのだと思った出来事でした。
父はきっと、味噌汁の湯気の向こうに遠く忘れ去っていた故郷の雪原を見ていたのでしょう。父にとってその日の味噌汁には、心を十分に満たす具が入っていたようです。」
私どもとしましては、このような出来事が日々の支えになります。味噌作りに携わることができて本当によかったと心から思える瞬間です。どんな誉め言葉よりもありがたく心あたたまります。
ある朝の かなしき夢のさめぎはに 鼻に入り来し 味噌を煮る香よ
石川啄木